敦盛塚

今回はまた、源平の戦いの一つ、一の谷の戦いの中であった出来事をご紹介します。


敦盛塚
■敦盛塚

この敦盛塚は、平敦盛を弔うために建てられた塚だと言われています。
平敦盛は、以前ご紹介した一の谷の戦いに参加していました。
一ノ谷の戦いの中でも有名である、源義経が行った『逆落し』と呼ばれる奇襲によって平家は敗退、多くの武将が討ち取られました。
平敦盛もその一人です。



平家が敗退、岸から離れた船へ駆け込むために海へと逃げる中、源氏の武将であった熊谷次郎直実は手柄を立てようと平家の武将を探していました。

平敦盛を見つけた熊谷直実は、背を向け逃げる敦盛に「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼びかけ馬から組み落としました。
しかし首を取ろうと甲を上げ素顔を見てみれば14~15歳に見える若武者、敦盛の姿が。

この時の敦盛はまだ17歳、自分の息子と同じ年齢の敵に直実は躊躇し名を尋ねるも、「名乗らずとも首をとって人に尋ねろ、すみやかに首を取れ」と答えられ、泣く泣く直実は敦盛の首を取りました。

敦盛を供養する際、帯びていた笛「青葉の笛」は笛の名手として知られた敦盛の祖父・忠盛が鳥羽上皇から賜ったものだと聞いた熊谷直実は、深く思うところがあり、仏門に帰依する思いが強まった、と言われています。

その後、熊谷直実は敦盛を討ったことを悔い、世の無常を感じ法力房 蓮生という法名で出家しました。

平家物語の名場面としても知られているこの話は、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』を始めとして様々な作品に取り上げられています。
また、須磨寺には平敦盛と熊谷直実の像や、敦盛の首塚、敦盛遺愛の「青葉の笛」等が展示されています。


今回は一の谷の戦いの中でも有名な出来事をご紹介いたしました。源平の戦いや平清盛に興味のある方は是非脚を運んでみてください。