一ノ谷の戦い 戦の濱碑

日本の歴史の中で、須磨は、中世の時代に大きくかかわりました。
それが、2012年のNHKの大河ドラマ『平清盛』でも取り上がられる源氏平氏の戦いです。

今回は源氏と平氏の戦いに関わった史跡の一つをご紹介します。

一般的に「源平合戦」あるいは「源平の戦い」などの呼称が用いられている、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱、治承・寿永の乱。
後白河法皇の皇子以仁王の挙兵をきっかけに各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、最終的には、反乱勢力同士の対立がありつつも平氏政権の崩壊により源頼朝を中心とした主に坂東平氏から構成される関東政権(鎌倉幕府)の樹立に至ったという戦です。
この戦いの最中、平清盛は熱病で命を落としました。


一ノ谷の戦い

一ノ谷の戦い 戦の濱碑
6年に渡る長い治承・寿永の乱の中には幾つかの戦が有りました。その中の一つに「一ノ谷の戦い」があります。

一ノ谷の戦いは、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦いです。
一の谷から西一帯の海岸は戦いの激戦地になったことから、「戦の濱」と言われ今現在もそれを伝える碑、戦の濱碑が須磨浦公園の東側に建てられています。


また、寿永3年(1184)2月7日、源義経らが一の谷の裏手の断崖絶壁から駆け下り、予想もしない方法で平家を奇襲しました。このことで戦局が一転し平家軍の多くが討死したと伝えられています。
今では「逆落し」と呼ばれ、一の谷の戦いの中では有名な事柄です。
そのことから、毎年旧暦2月7日早朝には馬の嘶きが聞こえる、と伝えられています。

皆さんも現地に立って源義経が活躍した土地に触れてみませんか?
もしかしたら馬の嘶きが聞こえてくるかもしれません。

<アクセス>

山陽電鉄「須磨浦公園駅」から東へ徒歩約10分

JR・山陽電鉄「須磨駅」から西へ徒歩約15分